思いついたこと色々書いてください。見たこと、聞いたこと。どうやって情報を収集したか。どう時間を過ごしたか。委員会からのアナウンスについて、食料やトイレ事情、などなど。
適当に時系列で節を区切っています。適宜追加してください。
避難直後
- 全員が未来館外に避難した後の余震で落下する未来館の天井
- 情報収集はTwitterとワンセグ放送が主.
- 近くにあったコンビニで食糧と水若干量および傘(ちょうど雨が降ってきたため)を購入.
- 留学生村の下だったので外国人でいっぱいだった.
- この瞬間の彼らにはあまり悲壮感も危機感も見られなかった.
- 店は混雑していたが長蛇の列というほどではなく.普通に会計.
- トイレ対策
- 早い時点でトイレの場所をスタッフに確認するも近所にはない(未来館の中にしかない)旨.
- ほどなく未来館スタッフよりトイレ募集の声がかかる.
- かなりの人数が並ぶ.
- あの瞬間は結構寒かった.
- ヘルメットをかぶってトイレに入る.
- ライフラインが生きていたので,水道も電気もavailableだった.
福地の行動についてメモしておきます。記憶に頼っているので間違いもあり。
- まず未来館からの退避を最優先。津波も怖かったが、むしろ余震による建物の倒壊を恐れての行動。
- この判断については後々批判もあるでしょう。しかし天井崩落などを目にし、それ以外の選択肢は頭に浮かばなかった。
- 未来館にはHi-netの観測結果モニタがあるため,震源が近くないことはすぐにわかる.かつ,東京湾の地形特性と2010年2月末のチリ沖地震から発生した津波なども考慮して,館外避難が最適解と判断しています.(by 鈴木)
- この判断については後々批判もあるでしょう。しかし天井崩落などを目にし、それ以外の選択肢は頭に浮かばなかった。
- 未来館裏駐車場に集合した後、一緒に避難した白井さんと、まず角委員長と合流を狙い、避難における指揮系統を確立すべく動く。
- なんとなく以下の構成が自然とできあがる。
- 角さん(運営委員長)
- 杉本さん(ローカルアレンジ委員長)
- 鈴木さん(未来館スタッフ・運営委員)
- 白井さん(元未来館職員・インタラクション組織に詳しい)
- 福地(運営委員・声がでかい)
- 福本さん(PC委員・頼れる男)
- その後の避難行動について、インタラクション参加者とそれ以外(未来館スタッフ・来場者)とをわけて、インタラクション参加者への情報伝達は上のメンバーが引き受けることに。
- しかし情報が不足しており、未来館エントランス前の広場にひとまず移動した後は、避難行動は特にとれず。
- 行ったのは、研究室単位などで集まって生存者確認をすることの指示や、トイレ・中に入って荷物回収など
雨が降り出してから
- 屋根の下にごっそり移動しているのを目撃
- コンビニから買い出した帰りだった
- 余震きたらやばいんじゃね?とは思ったものの,雨がひどくなったら避けるしかないので,判断は仕方ないところか.
- ↑これについては、未来館スタッフから「屋根の下は大丈夫」という指示があったので移動を促しました。(福地)
- コンビニから買い出した帰りだった
by 福地
- 雨が降り始め、どうしようかすごく困ったが、未来館スタッフより、エントランス前屋根は比較的安全だからそこへ移動してもよい、ということになったので移動。
- このあたりから、津波の心配から次の避難行動に凄く悩む。
- 避難中、警笛が鳴って凄く焦ったが、どうすることもできず。
避難先の指示
by 福地
- 白井さんより、「有明スポーツセンターが指定避難所なのでそこへ移動します」というアナウンスがあったが、すぐに、未来館前の「国際交流館」に避難、ということになった。
- 福地はこの建物の名前をずっと「国際交流会館」と間違えていた。
- 後で調べたら、港区お台場エリアの指定避難所は港陽小・中学校だった。有明スポーツセンターは橋の向こうで、江東区。
- 当初,向かって欲しかったのは東京臨海広域防災公園.リンク先にもあるように東京湾臨海部の基幹的広域防災拠点で直下型地震が起きたとしてもここから防災指揮がとられるほど安全.ただし,看板などがあるわけではないのでランドマークとして有明スポーツセンターを目指すように伝えました(by 鈴木)
国際交流館へ
by 福地
- 移動中、何人か自主的にお台場エリアを離れる行動をとっていた。一名からは、名刺を受け取った。
- 後知恵だが、近くに宿をとっている人には、そちらへの移動を促した方がよかったかもしれない。
- ただ、お台場エリアからの脱出ルートの状況がよくわからなかったので、そっちに頭が回らなかった。
- 「残りたい人は国際交流館へ」と伝えるが最適だったか?