ドームシアター前で,廊下側から入ってすぐのデモを見ているときに被災.最初は小規模のものと思っていたためデモシステムに「ゆらゆら」と入力したらどうなるかなどと冗談を言い合っていたのだけれど,揺れがひどくなるにつれ笑ってられないとドームシアター出口前から自販機前を通り過ぎて廊下まで移動.廊下まで移動した理由の一つは車椅子の学生さん(Y先生の所の学生さん)がおり,車いすが安定せずパニックになりかけておりそれを支えるため.僕の他にもう一方その学生さんを抱え込むように守っていた.何人かは廊下でもガラス張りのところに居たため,そこは危険とお互いに声を掛け合う.揺れがさらにひどくなり,自販機そばにあったインテリアの植物および案内板が倒れる.ここら辺で,白井さんの落ち着いた大声が聞こえたように思う.あとは,危険だから部屋から出ろという声も聞こえた気がする.ここで,白井さんはそういえば未来館で働いていたなと思い出し,詳しく知っているのだと安心した覚えがあります.揺れが落ち着いた後,未来館スタッフおよび白井さんのガイドに従い脱出.車いすの学生さんの椅子を僕が担ぎ,もう一人の方がその学生さんをおぶって下までおりました.(by S.N.)

揺れ始めた頃の7階(ドーム前)の様子


ドームシアター前の廊下側から入ってすぐのデモの共著者であったために,そのデモを遠巻きにみている時に被災.最初は未来館の構造上,人の動きで床が振動してしまうものだと思っていがが(例.未来大学の廊下のような構造),数十秒後に地震だと皆が認識.最初は微々たる揺れだったので,共著者のデモである「入力したオノマトペから音色を表出するシステム」に対して「おい,せっかくだから(ゆらゆら)とか入力してみたらどうだ?」などと冗談を言っていたが,そのうち揺れ幅が徐々に大きくなっていき,普通じゃないことを認識.自分はその場にとどまって揺れをやり過ごそうとしていたので,階下に逃げようとする人がいても「新しい建物だから,ここにいて大丈夫!」と叫びながら,その場にとどまってもらっていた.しかし,揺れがさらに大きくなるにしたがって自分も立っていられなくなり,膝をついた状態でひたすら耐える.その間,余裕を見せようと久しぶりにあった方と床に這いつくばりながら「お久しぶりです,こんなところで(苦笑」とコトバを交わしていたが,壁から漆喰が落ちてきたのを見てそんな余裕もなくなり,「壁からはなれて!」と叫びながらも床を這うのみ.揺れが収まった後にすぐさま未来館の方がきて「非常階段から退避してください」と迅速に指示をされたので,それに従い地上におりて広場に集合. 集合場所では点呼およびトイレの使用などの手順がスムーズに行われ,私はトイレ使用後に,八丁堀のホテルまで歩いて帰ることを選択.東西線が動いているとの情報を得た某さきがけメンバーと共に,とりあえずお台場を脱出することを選択し,徒歩で移動開始(ここで少量の降雨が始まる).移動を開始する旨を某さきがけメンバーの元所属研究室教員および後輩の学生に周知し,さらにはtwitterに状況を投稿してから移動開始(津波警報の情報もあったので).東京テレポート駅で門前仲町行きのバスを捕まえようとしたが行列がひどいので,そのまま「ゆりかもめ」が通るルートを使って豊洲→築地→八丁堀へと移動(所要時間約一時間半).幸いにもホテルは無事.結局東西線がストップし,某さきがけメンバーが帰宅困難者となったため,彼にはホテルの床に予備の布団を敷いてもらい,自分はベッドで就寝 ,という一日でした.(by T.K)